僕はドラムを叩くことが出来る。
ただ僕の雰囲気には余程似合ってないらしく、人に話すと「え〜、ホントですか?」と言われる事が多い。
どちらかと言うとキーボード系だそうだ。
もちろん「叩ける」とは言っても、当然プロではないから、ソコソコではあるが・・・。

僕がドラムを始めたのは中学校3年の夏。
友人「ヒロ」の誘いがきっかけである。
ヒロとは2年生のクラス替えで同じクラスになった比較的新しい友人だったが、何かと気が合って一緒に遊ぶ機会が多かったと思う。
そんなある日たまたま一緒に街に出かけた時、ヒロが買ったCDが全てのスタートだった。

CDは当時大人気だったブルーハーツの「TRAIN−TRAIN」。
初めて聞いたのはヒロの部屋だったが、正直かなりの衝撃を受けた記憶がある。
良い曲なのもそうだが、僕には歌詞の方がより衝撃だった。
〜栄光に向かって走るあの列車に乗って行こう〜
〜裸足のままで飛び出してあの列車に乗って行こう〜
受験生なのになんとなく生きていた僕の心に、まるで染込んでくるような気がした。
多分その頃は、何が何だか分からなかったんだと思う。
毎日学校に通うのが当たり前で、「教室」という存在自体がまるで人生の全てのような錯覚さえ感じ、自分がこれからどこに行くのかさえも理解できなかった。
そんな毎日からはみ出すことが、とんでもない恐怖だった気がする。
「みんなと同じ」が心地よかったし、ある意味平均点が一番楽。
裸足のままで飛び出せるほど乗りたい列車がある歌の中の誰かが、僕にはすごくカッコ良く思えた。

「なぁ、バンドやってみねぇ?」
ボーッと曲を聴いてた僕にヒロが声をかける。
「バンド?」
ちょっと予想外の話だったんで、僕はちょっと拍子抜けしてしまう。
当時の僕の中でバンドで楽器を演奏する人達は、全く別の世界の人達だった。
「そんなに簡単にムリだろ」
僕の醒めた答えに、ヒロは笑顔で押し入れてを開ける。
そこには僕が彼の部屋で見たことのない新しいギターがあった。
「買ってもらったんだ」
呆気に取られる僕を尻目に、ヒロはギターを肩にかける。
なんとなくだが、彼が「向こうの世界」の人に見えた。
「いいな、やってみようぜ」
いつもだったら僕はもっと慎重派の筈。
ハッキリと答えた僕に、ヒロはちょっと驚いたようである。
それよりも一番驚いたのは僕自身だった。
裸足のままで駆け出すのも悪くないと思ったのだろう。

結局、僕はドラムをやることになった。
理由は「楽器が安いから」という、ただそれだけの事。
まあ実際ドラムセットはかなり高いが、普通練習スタジオにはドラムセットが置いてあるので、まあ最初はスティックだけでいいか・・・という理論である。
ヒロがギターを弾いて僕がドラムを叩く・・・というたった2人のバンドだったが、僕らにとってはそれで十分楽しかった。

それから半年後の高校受験。
結局僕はヒロと同じ高校に進んで、結局同じクラスになった。
僕達は早速残りのパート2人を加入させ、本格的なバンド活動を始めていく。
それが一般的に言う「バンドブーム」の始まりの頃。
僕達はそのブームにのって数回のライブをこなし、コピーバンドではあるが地元の音楽好きの間では少しだけ有名になった。

その頃はもう学校の勉強そっちのけで、毎日音楽のことばかり考えていた気がする。
ライブの終わった瞬間の充実感と気持ちよさは、僕が中学生の頃に裸足で駆け出したあの日、それが正しかったと思わせるのに十分なものだった。

・・・というのが、僕がドラムを叩くことになった経緯である。

  
  
僕が通っていた幼稚園には、送り迎え用の幼稚園バスがあった。
バスは赤いバスと青いバスの2台。
別に家が遠い・・・という訳ではなかった(徒歩で10分くらい)が、僕がバス通園をしていたのは親の都合だろうか?
ちなみに僕は赤バスの6コースだった。

バスは朝に幼稚園を出ると、まず僕の待っている停留場に止まる。
当然最初に乗り込むから席は選び放題で、僕はいつもいちばん前の席に座っていた。
それからバスの市内巡りがスタートしていく。
時間にすると1時間くらいだろうか。
車好きの僕にとっては、それが一番楽しい時間だった。

実際小学生になると、バスに乗る機会もなくなっていく。
たま〜に見る赤い幼稚園バスが、ちょっと羨ましく感じていた。

それからしばらく後、僕も自分で車を運転するようになった。
近所でたまにすれ違う幼稚園の赤バスを見るたびに、いつも一番に乗った思い出が甦ってくる。
ところがある日見かけた時、ちょっとした違和感があった。
「・・・あれ?」
確か仕事は休みの日で、暇だった僕は思わずそのまま車で追いかけてしまう。
バスが園児を降ろすために止まると、僕は少しアクセルを開けて追い越す。
バックミラーに映ったバスは、確かに赤い色をしていたが、僕の見慣れた赤バスではなくなっていた。
簡単に言うと「今どきのバス」になっている。

「まあ、そりゃそうだよな」
僕がそう思えるまで、一瞬の間があった。
確かによく考えれば、幼稚園を卒園してから20年近く経っている。
いくら大事に使ってたとしても、当然バスだって寿命があるだろう。
頭では納得していたが、何か微妙な気持ちだった。

数時間後、僕は昔通っていた幼稚園にいた。
十数年ぶりに敷地に入り、懐かしい校庭を眺めてみると、そのサイズの小ささに驚いてしまう。
当時はまるでビルのように感じていたジャングルジムも、今は自分の背丈から少し高いくらいだし、森のように感じていた校庭の隅にある庭園も、今や普通の庭だった。
自分が感じている以上に時間は経っている。

バスが新しくなった訳も、ちょっと納得できた気がする。
僕は軽く頷きながら、車のエンジンをかけた。
車庫に入っていた「新しい赤バス」が、少し遠慮がちに見えたのは気のせいだろうか?
 
 
高校時代、僕は帰宅部に所属していた。
ただ担任の先生が放送部の顧問をしていた関係もあり、体育系の大会で放送部の仕事が忙しくなると、その手伝いに借り出されていた。
これはそんな、高校時代の甘い思い出。
その1つである。

放送部には合宿があった。
「合宿してなにするの?」という声もあるだろうが、実はかなりやることがある。
あまり知られていないが、放送部にも大会があった。
体育祭とか高校野球とかを取材したビデオテープを編集し、1つの「作品」をつくって人気投票をして順位を決める・・・。
簡単に説明すると、そんな大会である。
それにエントリーするための作品作りは、当然ながら時間もかかるし、ナレーションを重ねられるくらい静かな環境が必要。
夜の学校はそれに最適な訳で、学校に1泊2日の合宿でそれを仕上げるのが毎年恒例となっていた。
今年も夏休みに入ってすぐ、放送部員8名による合宿が実施されたのである。

「あれ?この前の球技大会の素材は?」
そう言ったのは3年生の鈴木先輩。
放送部の部長にしては爽やかな男で、実は女子から結構人気がある。
確か体育館だったかな・・・と思いながら、テロップ操作に集中していた僕は答えなかった。
「あ、体育館にあったよ」
答えたのは3年女子の山口先輩。
副部長で器量良し、僕も憧れている女性である。
背中まである黒い髪がトレードマークの彼女は、部の中でアナウンサーをやっていて、こちらも綺麗系の人気者だった。
「・・・すぐ使うわけ?」
嫌そうな言葉が続く。
誰だってこんな時間に学校内をウロウロしたくはない。
「これから編集に入るんから、とってきてよ」
全く人使いが荒い部長である。
「・・・仕方ないか」
と山口先輩。
歳は1つしか違わないけど、さすが先輩だなぁ・・・と思って振り返った僕の目の前に、その山口先輩の笑顔があった。
「一緒に行こうよ」
「え?俺っスか?」
他にも誰か・・・と思って部室の中を見回すと、奥の方に女子部員が2人いるだけで、他は仮眠を取っているらしい。
「仕方ないッスね、行きますか」
ここで断るのはカッコ悪いと思ったし、僕自身はあまり迷信を信じない方だし・・・。
「ありがと♪」
と山口先輩。
「いえいえ、お役に立てれば・・・」
僕は山口先輩の後に続いて放送部の部室を後にした。

「雨みたいだね」
体育館通路の入口で、窓の外を見ながら先輩が言う。
「天気予報では晴れだったんですけどね」
僕は先輩から懐中電灯と体育館の鍵を受け取った。
ここから先が噂の体育館通路である。
体育館まで約50メートル。
外に照明がないから、窓はあるけど完全に真っ暗だった。
しかも常識的に変だと思うのだが、照明のスイッチは体育館の中にしかない。
僕は懐中電灯を点けた。
まあ思ったより明るかったのは意外だったが、この場合は逆にありがたい。
僕はそのまま歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
先輩が僕の腕を掴み、そのまま手を握られる。
ちょっと予想外の反応でちょっと驚いたが、まあ女の子にて手を握られるのは嫌じやない。
これはラッキーかも♪
さっきまでは面倒に思っていた僕も、今はかなり上機嫌モード。
繋いだ手をしっかり握り、そのまま先に歩き出した。

体育館の扉は、いつもより少し重く感じた。
吸い込まれそうな暗闇に僕は少し怯みそうになったが、左手に先輩の体温を感じてる今はそうはいかない。
怯んでいるのが左手から伝わらないように、少し強がりなが平然と暗闇の体育館に踏み込んだ。
「なんだ結構・・・」
平気・・・と言いかけた時、その言葉は突然の落雷の大きな音と、先輩の悲鳴がかき消してしまう。
僕も思わず持っていた懐中電灯を放り投げてしまった。
まだ耳の中で落雷の音が響いてい気がする。
「・・・大丈夫ですか?」
「うん・・・ちょっと驚いただけ」
とっさに軽く抱きしめてしまったその肩は少し震えていた。
放り投げてしまった懐中電灯は消えてしまっていて、既に周囲は暗闇に包まれている。
「一旦戻りましょう、明かりもないし・・・」
手を握ったまま歩き出した僕だったが、何かに足を取られて先輩ごと転んでしまう。
「な、なにこれ?」
それは体育館を仕切るネット。
部活ではいつもクールに何でもこなしている先輩の、意外な一面を見てしまったようで、なんかすごい嬉しかった。
「先輩、まずジッとしてください。少しすれば目が慣れてくるんで・・・」
僕は出来るだけ落ち着いた声で言う。
先輩が頷いた気がした。
事実、変形体育座りのような転んだ直後の状態のまま、僕の左手は先輩の右手と繋がれていて、僕の右手は先輩の肩を軽く抱いているが、体育館自体が真っ暗だったため、「そこに彼女がいる」と保証してくれるのはその両手の感触と、まだ荒い息遣いだけ。
まだ目が慣れてないせいか、姿は全く見えなかった。

・・・それにしても、僕は何をやってるんだろう。
憧れの先輩と抱き合ってるのはすごい嬉しいが、まさか母校の真っ暗な体育館で、魚のように網に絡まれながらそうなるとは・・・。
「結構、男らしいんだね」
「え?俺ですか?」
いきなり言われたので、嬉しいより驚きが先になってしまう。
「うん、ちょっとカッコ良く見えた」
「いや暗くて見え・・・」
そこまで言った時、僕は自分の額に先輩の額を感じて言葉を止めた。
少し後に呼吸が重なり、僕の唇に何かが触れる。
あまりにも意外で突然のことだったので、それが「キス」という行為だと時間するまで、少し時間がかかった。
しばらくそのまま、静寂の時間が流れる。
それからはお互い、そのまま動けなかった。
僕はその行為の理由を聞きたかったが、しばらくするとそんなことどうでもよくなってしまう。
先輩が何も言わない理由は分からないけど、僕は何か言葉を口にするとこの今が壊れてしまいそうで、怖くて何も言えなかったのである。
僕たちはどちらからともなく一旦唇を離したが、その後すぐに僕がもっと強く抱きしめ、どちらからともなくまた唇を重ねた。

「お〜い、大丈夫か〜」
部長の声と体育館の扉が開く音で、僕たちは一瞬で我に返り、まるで磁石の同極になったかのごとく反射的に適切な距離を取った。
「だ、大丈夫です。このネットを何とかしてください」
僕の言葉で部長の持っている懐中電灯の光が僕たちを照らす。
「お前ら、それは新しい遊びか?」
部長は他の何人かの部員達と笑いながら、僕たちに絡まったネットを外してくれた。
僕が山口先輩の様子を伺うと、いつもと何も変わらない笑顔。
「さっきの雷で今は停電なんだ。お前らが怖がってると思って迎えに来た訳さ」
僕と山口先輩は顔を見合わせた。
「電力会社に電話したら、1時間くらいで直るらしい。それまでみんな部室で待機だな」
確かに電気がないと編集機器は動かない。
僕たちは部長に続いて部室に戻り、電気が戻るまで他愛も無い話をして待つとにした。
もっとも僕にとっては、気持ちが高ぶってそれどころではなかったが・・・。

その合宿で無事に「作品」は完成した。
僕たちにしてみれば渾身の作品だったが、賞に入ることは出来なかったのは非常に残念だった。
その後秋が始まろうとする10月初め、3年生の先輩達は受験のために「引退」となる。
僕もそれから忙しくなったので、その後あまり放送部には関わらなくなっていく。

・・・ちなみに僕が忙しくなった理由は、山口先輩と一緒にいる時間が増えたからだった。
 
 
いつもの見慣れた公園のベンチにその人はいた。
 当時小学生だった自分の中で、その人は少しだけ異質に映った。
 歳の頃は60歳くらいだったと思う。お世辞にも小奇麗とは言えない服を着て、体格の割りには大きすぎるリュックサックを背負っていた。
「この辺にお寺はないかな?」
 興味深げに眺めていた自分に気付いたんだろう、その老人が声をかけてきた。
「お寺?」
 理由が良く分からなかった。もしかしたらこの人はお坊さんだろうか?
「なんでお寺に行くの?」
 自然な疑問だった。
「私は四国から来たんだが、アルバイトをしながら日本一周をするつもりなんだ。お寺だったら無料で泊めてくれるからね」
 今までお寺はお葬式をする所だと思っていた自分は、 お寺がそういう役割をするということを初めて知った。更に「歩いて日本一周する」という事実は、子供心では想像もつかないほどの大きな出来事に思えた。
「お寺だったら・・・」
 とりあえず近くのお寺の場所を説明してやった。ただ近く・・・と言っても、ここから歩くと大人でも20分以上はかかるだろう。
「ありがとう」
 その老人は無精ひげの顔でニコリと笑うと、自分が教えた方向に向かって公園を出て行った。歩く後姿から想像するにも、日本一周なんて出来るようにはとても思えなかった。それを平気で口にする老人が、理由は分からないけどすごいと感じた。

 あれから20年以上の時間が過ぎて今の自分がいる。体力的にも金銭的にも、多分あの時の老人に比べると余裕がある筈。だけどそれを総動員しても、きっと彼のような旅はできないだろう。
 あの老人のことは名前はもちろん、どんな理由で旅を始めたのかさえも分からない。自分が同じくらいの歳になった時、あれだけ高い目標に向かえるかの自信も、残念ながら今はなかった。
 その人との出会ったほんの数分を思いだすたびに、気持ち的にはまだまだだという事を思い知らされる。子供の頃の大切な数分だった。

 この空の下、あの人はまだ元気だろうか・・・。

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僕が初めて「自分の預金通帳」を持ったのは、小学校2年生の頃だった。
普通に考えるとちょっと早いかな・・・と思う気もするが、きっと母親の教育方針だったのだろう。
通帳を持ったからと言って別に何が変わる訳でもないが、当時は何か大人になった気がして、すごい嬉しかったのを覚えている。

自分の名前の入った通帳を母親から受け取った時は、「もう絶対預金してやる」とすぐに心に誓っていた。
まあ当然10円玉を1つ持って銀行に行く訳にもいかず、コツコツと貯金箱に余った小遣いやお年玉を貯め、それを銀行に持って行っては何とも言えない自己満足。
少しずつでも通帳の金額が増えて行くのが嬉しかった。
きっとそのままの性格だったらかなりケチ上手になってたと思う。
・・・ところがその「母親の教育方針」も、やがて破綻する日がやってきた。
それは通帳を受け取ってから2年後の事である。

小学生には欲しい物がいっぱい。
漫画本やおもちゃ、ゲーム機、プラモデル・・・。
いくら貯金好きだった僕でも、当然その誘惑には曝される訳で、中には耐えられないものも出てきた。
口座には20万近くの貯金があるので、子供の欲しがるのもは大抵買うことができる。
新しいラジコンを買ってやる・・・と僕は心に決め、ついに貯まった貯金を引き出そうと通帳を持って銀行に行った僕に、窓口のお姉さんは笑顔でこう言う。
「ハンコを持ってきてね」
え・・・はんこ?
僕はそれまで、銀行印の存在を全く知らなかった。
「はんこがないと、お金は引き出せないんだよ」
銀行の帰りにラジコンを買って帰るという僕の予定は、瞬く間に崩れ去っていく。
そう、母親は僕にはんこの説明はせず、通帳だけを渡していたのだった。

僕はすぐに家に帰り、仕事から帰ってきた母親を捕まえた。
「通帳のはんこちょうだい」
突然の僕の言葉に、母親は少し驚いたようである。
「お金は大人にならないと引き出せないんだよ」
「騙したな」
少し考えてそう言った母親に、僕は瞬間的に答えた。
「騙してないよ、銀行に預けておけば利子がつくから、大人になったら・・・」
母親の言い訳に、僕はすぐに戦闘態勢を取る。
「ふざけんな、20歳の10万円より今の1万円だ!」
「これじゃ詐欺だ、警察に電話してやる!」
僕は電話を取って110番を回したが、受話器はすぐに母親に取り上げられた。

結局、この件は母親が折れた。
当然と言えば当然。
僕は翌日、母親から銀行印を受け取って、無事にお金を引き出す事が出来た。
完全勝利である。

その事件を境に、僕は大人との対応方法を学んだ。
基本的に親は信じてはダメなこと。
約束は実行までの期日を決めて書面に残すこと。
自分が納得するまで、絶対に妥協しないこと。
この3つは今でも僕の体に染込んでいて、大人になってからそれに何度か助けられたこともあった。
相手と会話をしながら、自然に担保を取れるようになったのである。
今流行の「危機管理」だった。

・・・そういう意味では、母親の教育は成功したと言えた。
ただ僕は、いつかやり返せる日を、虎視眈々と狙っていることを付け加えておく。
僕が小学校4年生の時、「ひとり勉強」という宿題があった。
1人1冊「ひとり勉強用ノート」があって、毎日1ページそれを使って勉強しよう・・・というもの。
そのノートは毎日先生に提出し、「よく出来ました」とか「頑張りましょう」というハンコが押されて返却。
これが無限に続くという、恐怖の宿題である。

自慢じゃないが僕は勉強が嫌いだし、三日坊主でもある。
特に「三日坊主」という人種は、1日目に異常なまでに張り切る習性があると思う。
実際に僕も、真新しいノートの1ページ目に計算問題を書く行為は、どちらかと言うと楽しいものだった。
ただ2日目・・・3日目と、日にちが進むごとに面倒になってきて、やがて「地図の勉強」ということで家の周りま地図を書いてみたり、「電話帳に掲載されている佐藤さんの分布図」を作ったり・・・と、なんかどの強化の勉強が分からないゆうなページが増えていく。
その中で1番先生を呆れさせたのは、ページいっぱいに筆で1文字書いただけの、「習字の練習」だったが・・・・。

ちょっと実家の荷物を整理する機会があって、その時偶然に「ひとり勉強ノート」を発見した。
何気なく開いてみた地図のページ。
当時はまだ家の周りにも空地があって、時間の流れを感じることが出来た。

もしかして色々な強化のノートの中で、今読み返して楽しいのは、この「ひとり勉強用ノート」かもしれない。
ノートの勉強内容どうこう以前に、各ページの企画に関して、我ながら関心してしまった。
ただこのノートが、僕の学力向上にどれだけ貢献したかは微妙だが。
その時、僕達は暇を持て余していた。
時計はもう午前4時の少し手前。
金曜の夜から、かれこれ4時間近く車で放浪していた計算になる。
「ちょっと休もうぜ」
僕は助手席の友人ヒロに声をかけると、いつもの駐車場に車を停めた。
郊外のパチンコ屋の駐車場は、僕ら仲間内では都合の良い休憩スペース。
エンジンの音が周囲から消えて、代わりに虫の音が周りを埋めていく。
「ホラよ」
車から降りて煙草に火を着けた僕に、ヒロが側の自販機で買った缶コーヒーをくれる。
「お、悪いな」
ヒロとは高校時代のクラスメイト。
同じ音楽が趣味だったこともあって、一緒にバンドを組んだりした親友である。
結局地元に残ったのは、同じクラスでは彼だけになってしまった。

「・・・で、さっきの女の連絡先はゲットしたわけ?」
ヒロの期待いっぱいの言葉。
「一応ね」
僕は地面で煙草をもみ消すと、缶コーヒーを開けながら答える。
「ショートの方は自宅とベル番ゲットしておいた」
「お〜、さすが営業マンだね」
ヒロは素直に関心していた。
僕はヒロの言うとおり、高校卒業と同時に通信システムの営業をしている。
お陰でこう言う交渉ごと(・・・微妙だが)は、得意分野になってしまった。
見た目はヒロの方がカッコイイが彼は話下手。
僕たちはお互いの欠点をカバーし合える、最強のコンビでもあった。
「俺はロングの方で頼むよ」
あと女の子の好みが一致しないのも、最強コンビたる由縁。

僕たちは8時間ほど前、街でセコセコとナンパに勤しんでいた。
今日はかなり運が良かったらしく、開始数分でかなりイケてる2人組を発見し、早速声をかけて仲良くなった次第である。
結局4人でカラオケに行き、いい感じで盛り上がった。
2人はお互いの好みにピッタリで、ここ数ヶ月で最高のカラオケタイムだった気がする。
結局僕らはその後、彼女達の門限に合わせて自宅の近くまで送っていった。
その後車でブラブラしながら今に至る。

「これからどうする?」
ヒロの言葉で時計に目をやると、もう朝方近くになっていた。
「久しぶりに山に行こうか」
「いいね〜」
ヒロはすぐに同意する。
僕は缶コーヒーを飲み干すと、車のキーを回してエンジンをかけた。

まだ目覚めていない街並みに、僕は遠慮なくアクセルを踏んでバイパスに抜ける。
昼間なら信じられないくらいのスピードで、いつもの山道に突入した。
僕にとってそこは何百回と往復したホームグランド。
タイヤは音を立てていたが、高速道路以上のスピードを出しているにしては、車は安定していたと思う。
目的の場所には十分ちょっとで着いた。
そこは小さい広場になっていて、僕はそこに車を停めるとエンジンを切る。
街の西側にある山の中腹にあるその場所からは、これから目覚めようとする街の夜景が見えていた。
上を見上げると少し明けかかった空に、まだ万天の星が輝いている。
それは街の夜景と1つになり、そこには大きな星空があるような錯覚を捉われていく。
「そろそろだな」
僕らはガードレールに寄りかかって、その瞬間を待つことにした。
やがて東の空が白み始め、太陽が僕たちに今日最初の光を当てる。
それと同時に街の夜景と空の星が、溶けるように一斉に姿を消した。
「朝」のスタートである。
僕のヒロはこの瞬間が好きだった。
「そうだ、今度あの女達つれてこようぜ」
「女達って、さっきのか?」
ヒロは無言で頷く。
彼はさっき出会ったばかりのロングヘアの彼女が、随分とお気に入りならしい。
女達・・・と複数形にしたのは、僕への気遣いからだろうか。
「そうだな、一眠りしたら連絡してみるよ」
そういう僕も満更ではなかった。
やがて太陽が完全に姿を現したことを確認してから、僕達はそれぞれの自宅に向かう。
今日はまだ土曜日。
夜に備えて、十分に眠っておく必要があった。
また今日も楽しい夜になることを祈って・・・。

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僕が通っていた幼稚園では、「ハンカチ遊び」という時間があった。
自分の持って来ているハンカチを折ったり結んだり、色々な形を作る遊びである。
そんな何でもない事だけど、ちょっとした理由があって僕はまだ覚えていた。

「は〜い、ハンカチ遊び始めてくださ〜い」
先生の声で、僕を含めたクラスのみんなは机の上にハンカチを出す。
みんなは綿にアニメキャラとかが書いてあるハンカチだったが、母親が僕に持たせてくれたハンカチはガーゼのハンカチで、アニメキャラなんか印刷もされていただの白で、黄色の縁取りがとれているだけ。
しかもガーゼだから、折ったり結んだりっていうのが、すごい難しいハンカチだった。

みんなと1人だけ違う・・・という事に当時の僕はすっかり取り乱してしまい、ハンカチ遊びの時間はそのままずった下を向いていた記憶がある。
その夜、僕は看護婦をしていた母が帰ってくると、すぐに玄関にハンカチを持っていった。
「こんなんじゃダメだよ、みんなと同じにして」
イラついて声を大きくする僕から、母は黙ってハンカチを受け取る。
「そうなの、じゃあ買ってこないとね」
そのまま母は着替えるために部屋に向かっていく。
僕は目的を達成した達成感で、少しだけ気分が良かった気がする。

それから2日して、母親はみんなが使っているようなアニメキャラのハンカチを買ってきてくれた。
お陰でそれからのハンカチ遊びの時間は、かなり充実していた気がする。

その時のガーゼのハンカチを、ひょんな事から見つけたのはちょうど20歳の時だった。
結局はほとんど使ってないまま保管されてたから、まだ当時と同じ綺麗なまま。
懐かしさに広げてみると、当時は気付かなかったタグがついてて、「アトピー用」という文字がそこに書かれていた。

そう当時、僕はアトピー性皮膚炎だった。
看護婦だった母は、ガーゼのハンカチが肌に良いことは知っていたのだろう。
それを踏まえてあの時の事を思い出すと、何かとても母にひどい事をした気になった。

どうしようか・・・・少しそのまま考えた僕だったが、結局は何事もなかったように元の場所にハンカチを戻し、見なかったことにすることにした。
まだあの時に事を母と話するのは、少し早いような気がしたから。

あれから今年でちょうど10年。
今年もはだ早いかどうかは、今の僕ではかなり微妙な状況になっている。

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30代の自分達の世代のことを「ファミコン世代」と呼ぶ人達がいる。
以前はそう呼ばれることに少し抵抗があったが、最近は自分でも納得してしまうのが、もしかしたら「歳を取った」ということなのだろうか・・・。

「ファミコン」こと「ファミリー・コンピュータ」が発売されたのが、確か小学校2年生の時。
当時はクラスで1人か2人くらいしか持ってる人がいなく、そいつの家はもう友人達の溜まり場になってしまっていた。
やがて少しずつ買う人が増え始め、やがてはクラスの半分以上が保有するようになり、クラス内での話題はゲームに統一されていく。

・・・そんな中、僕は買ってもらえなかった。
別に家にお金がない訳ではないと思うが、何故か両親が買ってくれない。
「同じのあるでしょう?」
母親にねだると、必ずこういう言葉が返ってくる。
確かにうちにはパソコンが存在していた。
それでゲームとかもしていた自分だが、当然クラスメイトの友人達は持っている訳もなく、話題には乗り遅れてしまう・・・という状況が続く。
そんな自分に劣等感さえ感じていた。

発売2年後、僕が4年生の時。
「昨日、ジュースこぼしちゃってさぁ・・・」
友人の言葉に、僕は敏感に反応した。
彼の話によると、昨日愛用のファミコンにジュースをこぼしてしまい、電源が入らなくなってしまったそうで。
理解のある彼の両親は、「修理するよりも安い」とのことで、早速新しいファミコンを買ってくれたそうだ。
持っていない僕からすると、もうかなり羨ましい話。
「その壊れたのくれない?」
僕の申し出に彼は少し驚いたようだが、どうせ捨てる物だから・・・ってことで、快く了承してくれた。

その日の学校帰り、僕は彼の家によって壊れたファミコンを受け取った。
なるほど外見が少しネバネバしており、ジュースの名残が残っている。
僕は自宅に戻ると早速テレビに繋いでみたが、当然何も映らない。
その後は自分でも驚くくらい、頭がフル回転して対策を考えていた。

少し前のテレビで「パソコンの電子パーツは大量の水で洗浄する」と言う事を聞いた記憶があった。
ということは、基盤さえ問題が無ければ、綺麗な水で洗うと綺麗になる筈・・・という方程式は、友人の話を聞いた時から僕の頭の中で完成している。
水道水には塩素が入ってるから、一旦湧かしてそれを抜いて、冷ましたお湯にファミコンの基盤を1時間ほど浸け置き。
その後水分を綺麗にティッュで拭き、再度組み立てて電源を入れると・・・なんと無事に動作してしている。
問題なく表示されねゲーム画面に、涙が出るほど感動していまった。

その日から、僕の家にはファミコンが装備される。
「どこから持ってきたの?」
と聞いてきた母親に僕は得意気に事情を説明し、取りあえずだが理解は得られる。
なんか自分で1つの権利を勝ち取ったような、なんとも言えない満足感があった。

・・・ただ1つ問題。
それはその日から、ことあるごとに母親が「壊れた物」を貰ってくるようになった事。
そんな訳で僕の実家には、電子レンジやビデオデッキなど僕の手が入ったの作品が、今も現役で活躍している。

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「白虎隊」というのをご存知だろうか?

戊辰戦争の時に会津藩が組織していた隊の1つで、まだ若い少年武士達が所属していた隊である。
当時会津藩は幕府側だった訳で、最新装備の新政府軍と戦って敗走。
その途中で山の上から自分達の城を見た時、城下町が燃えているのを城が燃えているのと勘違いしていまい、会津藩が負けたと思って自決してしまう・・・という悲劇の物語。

今から20数年前、僕は幼稚園に通っていた。
カトリック系の幼稚園だったので、毎日「祈りの時間」があったり、英語の時間があったり・・・と、当時にしてはちょっと珍しい幼稚園だったと思う。
そこでは毎年12月になると「学芸会」があり、クラスごとに歌やら劇やらを一般に披露するのだが、僕の所属していた年長の桜組は「白虎隊の剣舞」をやることになった。
まあ「剣舞」と言っても所詮は幼稚園児。
そんなに大したものではなく、テープの歌に合わせて踊る・・・と、ただそれだけだったが。

その練習は本番の1ヶ月くらい前から始まった。
僕は仲の良かった友人と一緒に、怪我をして退却する役。
前半のチャンバラ的な踊りが終わってみんなが舞台袖に戻った後、その友人と足を引き摺りながら舞台に登場し、燃えているお城を見る演技をする・・・と。
セリフはなかったが、あったとしたら「あ、お城が燃えている!!」と言った感じだろうか。
そして僕ら2人が自決すると、次々と舞台袖から白虎隊の隊員が登場し、次々と自決していく・・・。
劇の流れとしてはそんな感じだった。
練習は順調に進み、ある程度の形になるようになると、途中から意外が問題が発生する。

「最後に全員自殺っていうのはいいの?」
みたいな事を、多分誰かが言い始めたのだろう。
確かにカトリック系の幼稚園で自殺っていうのは、ちょっと問題だったのだろう。
観る側の親としても、劇中とはいえ自分の子供が切腹するのは、気持ち的に複雑に感じる人もいるかもしれない。

・・・結果、劇中では誰も死なない事になった(笑)
今まで切腹とかしていたシーンは、全て「泣きまね」に差し替えられる。
イメージとしては「切腹の直前」という感じだろうか。

結局本番はその「泣きまね」で統一され、観客からは大きな拍手をもらうことが出来た。
今にして思えばその拍手に一番感動していたのは、演技していた僕達より、制約が多い中で悩みながら劇を考えた幼稚園の先生達かもしれない。

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段式な筆箱

2004年6月1日 エッセイ
小学校低学年の頃、筆箱は「稼動部が多いほど良い」という良く分からない基準があった。
うちのクラスだけか・・・とも思ったが、実際にその基準に合うような筆箱がかなり販売されていたので、まあ結構広い範囲での流行だったと思う。
しかも何故かその稼動部を「○○段式」と数えていた

例えば蓋がついているだけの、普通の箱のような筆箱。
これは動く蓋が1つしかないので1段式。
それに消しゴム専用の部屋がついて、蓋が2つに分かれると2段式。
裏側に三角定規とか分度器とか入れるようになってると、蓋が3つになるんで3段式・・・。

記憶では自分が使ってた筆箱は「6段式」だったような気がする。
微妙に曖昧だが、確か真ん中くらいからも2つに分かれてた気が・・・。
もちろん、本来そこは何が収まるべきなのかは不明だが。

筆箱なんかそんなに壊れる物でもないんで、多分小学校にいるうちはそれを使ってたような記憶があった。
ただその「段式」の流行は、1ヶ月ちょっとした続かなかった気がする。

人の噂も75日。
満更嘘でもないようだ。
確かに次の学年になると、ごく普通のペンケースを使ってた人が目立ってたかもしれない。
そんな中、その「6段式の筆箱」をずっと使い続けた僕は、他人の意見に流されないしっかり者ではないか?と思ったりもした。

よく考えると、ただ意地っ張りなだけか・・・。

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今から20年ほど前、自転車にスピートメーターを取り付けるのが流行った時期があった。
ひょっとすると僕の周りだけかも知れないが・・・。
まあ近所のホームセンターでも、「自転車用スピードメーター」なるものが何種類か販売されてたので、多分全国的にブームだったと思う。
値段は確か3000円前後だから、まあ極端に高いものではなかった筈。
当時は何故か欲しかったが、今思うと全く意味がないものなんで、当然買ってもらうまではかなりの努力が必要だった。
・・・そんな訳でようやく買ってもらい、自分の自転車に装着したときは、嬉しくて街中意味もなく走り回った記憶がある。

そんなある日。
その日はいつもよりちょっとだけ、スピードメーターを見過ぎた日だった。
「何キロまで出せるか?」に挑戦していた僕がふと視線を前に戻すと、もう絶対避けられない距離まで電柱が接近している。
「あ!!」という暇もなく、そのままかなりのスピードで激突してしまう。
弾かれたように自転車ごと道路に倒れこんだ僕の視野に、すごいブレーキ音をさせながら近づいてくる車が映った。

正直な話、このまま死んでしまうかと思った。
その車のタイヤはちょうど僕の顔の直前、数十センチのところでなんとか停止する。
自動車のタイヤをこんな近くで見たのは、多分生まれてからその時が初めてだったと思う。
「大丈夫か!?」
焦ったのは車の運転手。
「はい・・・」
僕は自転車を起こすと、その場から急いで立ち去った。
別に車にぶつかった訳でもなかったし、トラブルに巻き込まれるのはゴメンだと思ったから。
幸いにも自転車はちゃんと動いたし、パッと見た感じ自分の体も大丈夫だった。
気持ち的にはかなりのダメージを受けていたが・・・。
もしタイミングが少しずれていたら、多分その時で僕の人生が終わっていた筈。
20年経った今でもタイヤの形がまだ思い出せるくらいだ。

その時の記憶が体に染み付いてるからか、今もあまりスピードメーターは見ないようにしている。
お陰様で何回かスピード違反で捕まったが、まあ電柱にぶつかるよりは良いだろう。
当時まだ幼稚園に通っていた僕は、船での家族旅行にかなりはしゃいでいた記憶がある。
今はもう廃止になってしまったが、当時は本州と北海道の間は「青函連絡船」で結ばれており、子供の頃の僕にとってその船での時間は、旅行の中の一番の楽しみだった。
その日は天気も良く、甲板で潮風に吹かれるのがまた心地よく、凪の海に白く残る船の航跡も印象的で美しく・・・。
ずっと乗っていたいとさえ思っていた。

そんな船の甲板の片隅、フォークギターを持って歌っている彼がいた。
今風のストリートミュージシャンのように、自分の前にギターケースを置き、その中には硬貨が何枚か入れられている。
「あの人は何で歌ってるの?」
僕は一緒にいた祖父に尋ねた。
「あの人は歌を歌うのが仕事なんだよ」
笑顔で答えてくれた祖父と一緒に、僕はしばらく彼を観察することにした。
歳の頃は20歳〜30歳くらいだろうか。
ギターを持っていることを除けば、どこにでもいそうな普通のおじさんである。
ただその歌をよく聞いてみると、言葉が少し訛っていた。
それが周囲の観客達の笑いを誘っている。
笑いながギターケースにお金を入れる人に、頭を下げてお礼をしている彼が、当時の僕にはどうも理解できなかった。

「入れておいで」
祖父が僕の手に100円玉を渡す。
僕は頷くと、演奏の合間を見て彼に歩み寄る。
「おじさんは笑われると嬉しいの?」
思わず口に出してしまった。
今思うと子供って残酷である。
彼は予想外の僕の言葉に一瞬戸惑ったようだったが、すぐに笑顔になってしゃがみながらこう答えた。
「君は友達が笑ってくれると嬉しいだろう?」
僕が無言で頷く。
「僕の歌を聞いてくれる人はみんな友達なんだ。だからその人達が笑ってくれると、僕はすごく嬉しくなるんだよ」
今までモヤモヤしていたものが、一気には晴れた気がした。
おかしいと思ってたことが、あたりまえに変わった瞬間である。
「ありがとう」
僕はそう言って持っていた100円を差し出した。
何かギターケースに投げ入れるのは、ちょっと失礼な気がしたから。
「こちらこそ、ありがとう」
彼はその100円を僕か両手で受け取ると、大事そうポケットに入れる。
そして僕の「友達」が1人増えた。

「あの人はきっと有名になるよ」
その後も少し離れたところで歌を聞いていた僕に、祖父が嬉しそうに言う。
なんか友達が褒められた気がして、すごい嬉しかった。
・・・そして僕も笑顔になった。

そして今・・・。
彼は日本を代表する歌手になりました。
当時は笑いの種でしかなかった訛りは、今や涙も誘う歌声となり、紅白でも常連になっている。
いつもテレビで彼を見かけるたび、歌を聞くたびに嬉しくなり笑顔になってしまう。

残念なのはその光景を、祖父に見せられなかったこと。
そう考えながら見上げた、もう茶色くなりかけている祖父の遺影は、あの時と同じ笑顔で大人になった僕を見下ろしていた。
街のからちょっと外れた、海の見える公園にそれはあった。

今から数十年前の高校時代。
あまり家にいることが好きじゃなかった僕は、暇さえあればそこで過ごしていた時期があった。
特に何をする訳でもなく、なんとなく本を読んだり、ボーッと何かを考えたり・・・。
そんな場所だった。

いつもは1人で行くそこに、1度だけ女の子を連れて行ったことがあった。
1つ年下の彼女は同じ学校の後輩で、まあ普通に可愛かった。
そんな彼女を「恋人にしたい」という気持ちが、自分の中にあったことは否定できない。
細かいことは忘れてしまったが、帰りがけに偶然一緒になって、なんか分からないけどお互いに時間があり、なんとなくその場所に行くことになった筈。
僕の行きつけの場所だから、多分僕が誘ったんだろう。

その日は少し肌寒い、天気が良い秋の日。
ずっと向こうまで続く海を眺めながら、彼女とは色々な話をした。
お互いクラスの事から始まり、家族のことや友達の事、中学校の頃の思い出・・・。
どんな事でも笑顔で話せそうな気がした。

彼女との時間が楽しいせいか、秋の放課後はすぐに日が傾いていく。
青空は次第に濃くなり、やがて星が姿を現した。
何気なく時計を見ると、ここに来てから数時間が経っている。
その頃になると、たまに会話も途切れるようになった。
「先輩、彼女いるんですか?」
突然の彼女の言葉に、一気に汗が噴出してくる。
「少し前に別れたけどね」
いないというのが恥ずかしい気がしたから、思わずそう言ってしまった。
またちょっとの沈黙。
「キスって・・・したことありますか?」
ドラマでしか聞いたことのないセリフが、今まさに僕の目の前で話されていた。
どうして女の子は、こんな事平気で言えるんだろう?
「あるよ」
正直嘘だったけど、チャンスだと思った。
彼女の腕を引っ張り、軽く抱き寄せる。
「今してみようか?」
精一杯の僕の声。
少し震えているのは寒いせいだと自分に言い聞かせた。

僕たちは少しの時間・・・多分1分くらい、そのままだった。
その気になればいつでもいつでも奪える距離に彼女の唇があり、それが今だに信じることが出来ないでいる。
彼女に嫌われてしまいそうで怖かった。
憧れていた「キス」という行為がこんなに怖いものなら、むしろそんなものしない方が幸せな気さえした。
「誰か来ますよ」
彼女の言葉で僕は腕を離す。
「・・・冗談だよ」
そう言うのが精一杯だった。

お互いに元の位置に戻り、またしばらくの沈黙。
「先輩、ちょっと本気だったでしょう?」
彼女が笑顔で言う。
「ちょっとだけね」
僕も笑顔で返した。
完全に否定するのも変だと思った。
「正直、ちょっと痛かったです」
なんて答えていいか分からなかった。
「・・・今度はもっと優しくしてくださいね」
表面上は平静を装っていたが、心の中では大きいガッツポーズ。
生まれて初めて、僕に彼女が出来た瞬間だった。

結局僕のファーストキスは、彼女とそれから3ヶ月後。
クリスマスの前日のことだった。

ちなみに今も、この東屋は存在している。
ただし海岸が埋め立てられて倉庫が建ったしまったので、もう海は見えなくなってしまったが・・・。

秘密基地

2004年5月21日 エッセイ
男の子にとって「秘密基地」という言葉は、どこか独特の響きを持っている。
小さい頃の自分も例外ではなく、それは自分達が「敵」と戦うために必要なものだった。
もちろんそんな「敵」が誰でどこにいるかは、誰も知らなかったが・・・。

住んでいた家から、自転車で10分ちょっとの所にあった広場。
僕達の秘密基地はそこにあった。
そこは昔の貯木場跡地で、住宅街にも関わらず学校の校庭2つ分くらいの広さがあり、更に整備もされてないために木やら草やらが適度に生え、「敵から身を隠すための秘密基地」には最適の場所だった。

当時は小学校4年生の夏休み。
いつも一緒に遊んでいた5人の友人達と、ひょんな事から秘密基地を作ることになった。
友人宅から失敬してきた青いビニールシートを木に紐で吊り、丸1日かけて自分達的にはかなり立派な秘密基地が完成。
しかもシートの上には敵から基地を隠すため、草でカモフラージュまで施した。

その日から2日間。
ぼくらはワイワイ楽しみながら、敵と戦うための装備を整えた。
誰かが持ってきたミサイル代わりの花火やエアガン、接近戦のための棒切れ、持久戦のためのお菓子類・・・・・・。
秘密基地の装備はどんどんエスカレートしていく。
そして僕達は、ついにどんな敵にも負けない武器を作り始めた。
今思えば、まるで小さな武装国家のようだったと思う。

中国の祭りで使う「爆竹」という花火はご存知だろうか?
僕達はそれを分解して火薬を集め、お菓子のマーブルチョコが入っていた円筒形のケースに詰めた。
曖昧だが、確か6箱くらい分の火薬を詰めた記憶がある。
夏休みの工作に丁度良い・・・そんな軽い気分だった。
そして完成すると、当然使ってみたくなるのが人情というもの。
僕らは長い導火線をそれに差込み、ビニールテープでグルグル巻きにした。
見た感じダイナマイトのような完成度にみんな大満足。
見通しのきく場所の地面に軽く埋め、僕が代表で導火線に点火して数十メートル離れた物陰まで一目散に走った。

「あれ?消えた?」
誰かが言った次の瞬間。
今まで聞いたこともないような巨大な爆発音が、周囲に住宅地に響き渡る。
あまりにも大きな爆発音に、僕らはしばらく動けないでいた。
これはヤバイかな・・・と思ってはいたけど、友人達の手前、僕は平静を装って爆発現場に足を向ける。
他の友人達もそれに続いた。
そこには半径数十センチのクレーターが出来ており、まだ煙が燻っている。
それを見た瞬間、僕らの強がりは吹き飛んでしまった。

「おい、大人がくるぞ!」
その声に僕らが一斉に顔を上げると、多分近所に住んでいるであろう数人のおばさんが、こっちを見ながら何か指差している。
こっちに向かって歩いて来ているようだ。
「言い訳の達人」を自負していた僕にも、そのおばさん達を説得できる言い訳は無理。
傍から見ると、子供の危険な火遊び以外の何でもない。
「逃げろ!」
誰かの声が合図。
僕らはそのクレーターに急いで土をかけて証拠を隠滅した後、青い顔で秘密基地に戻った。
「ここもヤバイぞ」
僕らは荷物を大急ぎで荷物をつかむと、そのまま自転車に向かう。
そして蜘蛛の子を散らすようにその場を離れた。

それから何日か、僕らは怖くてその場所には近づかなかった。
夏休みももうすぐ終りのある日、僕らが連れ立ってこっそりと覗きに行くと、今までは自由に入れてた入口に柵が出来ている。
それを乗り越えて秘密基地に行ってみると、そこには水の貯まった青いシートがあっただけだった。
「昨日まで雨だったからな」
誰も口にださなかったけど、もう終わったってことはそこにいた全員が感じた筈。
そして僕らの夏休みが終わった。

始業式の日、先生から火遊びの危険性についてのプリントが配布された。
近所に住んでいた同級生の話だと、僕らいなくなった後、パトカーが来ていたとのこと。
僕達はその話を聞いて青くなったが、その後も学校が犯人探しを始めることはなかった。

久しぶりに実家に戻る機会があった。
車で何気なく前を通った秘密基地があった広場は、しばらく見ないうちに整地されて分譲されていた。
思わず車から降りて確認した「秘密基地があったと思われる場所」にはもう家が建っていた。
よく考えたら20年も前のこと、変わらない方がおかしいだろう。
なんとなく1つの時代が終わった気がした。

くれぐれも良い子は、絶対にマネをしないでください。
今だと絶対にテロと間違われますので・・・。

三日坊主

2004年5月20日 エッセイ
自慢じゃないが私、日記に関しては「三日坊主」である。

過去に何度も思い立っては日記用のノートを購入。
「長く続けよう」という気持ちだけはあるので、それは厚くて立派なものになる傾向がある。
しかし4日目までページが進んだことはない・・・と記憶していた。

大抵、書く事はいつも決まっている
1日目は「これから日記を書き始めることに・・・」という決意表明。
2日目は日記を書くための、ヤラセ的な現実描写。
3日目は「昨日と同じ・・・」

「文章を書く」ことは嫌いじゃない。
当然ごく普通の会社員の自分に、そうそう日記に面白く書けるようなイベントが毎日ある訳でもなく、いわゆる「ネタきれ」の状態になってしまう。
・・・という反省を踏まえ、今度は「今日の出来事」を書くのではなく、「今日思い出した記憶」について書く事にした。
これでもネタきれになってしまうのであれば、日記を書く前に人生を豊かにする必要がありそう。

自分の中の思い出が果たしてどのくらいあるか・・・。
今からかなり楽しみかも。

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